文化の日のこと

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こんばんは。
お元気にしていらっしゃいますか?

昨日はじゅんじゅんさんの「ひのまるにゃんこ」のブログを見てはじめて普通の日曜でなく文化の日、祝日だということを思い出し、慌てて日の丸を出した私です^^;。
両親も祖父母宅も国旗掲揚の習慣がなく私も近年始めたばかりで、まだまだ国旗掲揚が習慣化してないことを痛感したのでした。

さて、明治節や新嘗祭のお話ですが、私は、形を変えてでも何とか残したかったから
覆い隠す、どちらもではないかなという気がしています。
文化の日は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ための祝日。
勤労感謝の日は「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ための祝日。
文化の日は明治という時代を象徴するような表現であると思うし、勤労感謝の日は新嘗祭そのものな感じさえしています。もちろん、日本人から見れば、という話ですけどね。
当時の人が、どんな状況であろうと後世に伝えられなければならない、伝えていきたい意味ある日であったからこそこういう形になったのだと私は思っています。


先日のハロウィンの際に自分のブログでも書いたのですけど、○○の日=それを象徴する何か、があるものは外国の風習であっても定着しやすく、逆にそれがないものは忘れられやすいです。

文化の日や勤労感謝の日はそういう象徴する何か具体的なもの、ってぱっと思い浮かびません。

十五夜のお月見にはススキやお団子を飾るとか、
節分には豆まきをするとか、
土用には鰻を食べるとか、
そんなはっきりしたイメージが。

それはイメージをはっきりさせてしまうとすぐにばれてしまうから、ということも可能性として大いにあるのではと考えています。
イベントや季節を感じることが大好きな日本人が特別な日にそういうお祝いする何かをまったくしていなかったなんて思えませんので。

そんな曖昧になった部分を考え読み取って後世に伝えていくことは、今を生きる私達がなすべきことなのかもしれないと今年の文化の日は少し考えさせられる日でありました。

Comment by: るる  | 2013- 11-05 | 編集

 コメントありがとうございます。
 潰しにかかったという事は間違いないでしょうね。
 これは日本国憲法の制定と同じ思考パターンだと思います。
 それに対する日本政府の必死の抵抗も同じ形だったでしょう。何とか策を弄するしかなかったんだと思います。
 妙な喩えに聞こえるかもしれませんが、例の韓流ドラマで、明の使節に対する朝鮮王室の役人が必死になって国を護ろうとする各種の策がそれです。属国が国の誇りを失わず生き残ろうとするにはそうするしかなかった。当時の日本も同じです。
 でも、命を懸けてでもそれをやろうとする人間がどれだけいたか、というところが彼我の境ですけど。(正直なところあんな忠臣の活躍だって、実は日本の話のパクリじゃないかと思いますけどね。内緒ですけど。)
 潰しにかかったのはGHQの手先となった者共。反対に、策を弄して名前だけでも残し、捲土重来を期したのは、命を懸けてそれをやろうとした者、としか考えられませんね。

 私は天皇というのは決して支配者ではない、という思いが、(私の中では)日に日に強くなっていくような気がしています。今上天皇の慈愛に満ちた眼差しではなく、明治天皇の未来を見据える目や、昭和天皇の敬虔な神官の眼差し、に全力で付き従うにはどうしたら良いのだろうか、と。
 だから、私は明治節は祝日、新嘗祭は祭日、と感じるのも日本人の根っこなんじゃないかな、と思っています。

Comment by: 再起(せき)SR400  | 2013- 11-08 | 編集