「志士の御霊」「護国の御霊」を祀る宮

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~夕刻の備忘録~

 論点はやや違いますが、私が昔から疑問に思っていたことの半分が解決です。

“ 靖國神社は墓苑ではありません。お寺でもありません。神社です。
 本来は招魂社という名の英霊を「祀る」神社です。

 神社は亡くなった方を偲ぶところではなく、祈り、誓い、感謝を、赤心を以て「明かしに」行くところです。追悼、哀悼などの、「悼む」ところでも、「慰霊」、「慰める」場所でもありません。 ”

神社は亡くなった方を偲ぶところではない。亡くなった方を偲ぶところは、お寺のはずです。
今の日本、新興宗教に入られている方が100万人以上いると言われています。
神も仏も一緒たにしてしまっているこれらの教えが、招いた不幸としかいえません。
中曽根総理以前は靖国を参拝しょうが、中国・韓国もケチをつけた話など聞いたことがありませんでした。
日本にずいぶん世話になっていたせいかもしれませんが・・・。

 平穏を一番嫌うマスコミに政治と結び付けられてから、日本の政治家は、外交に関して散々たるものです。
隣の国だけを気にし、世界の日本といいながら、東アジアだけで右往左往する有様でした。
今の人達には、言葉まわしが難しくて、~夕刻の備忘録~は 難しかったのでしょう。
年寄は新しい機械に、若者は古い言葉に翻弄され、簡単で楽な物を求めるものなのだと思います。
 ~夕刻の備忘録~のようなサイトが、終わってしまうのは 私も残念に思う次第です。

Comment by: るどるふくん  | 2013- 07-27 | 編集

宮大工という名前も、新しいんだそうですね。

 祖神のみならず先人の偉業も尊んで同じく神として祀ろう、という考え方は日本だけのようになってしまいましたが、どうも本来は世界中それに近い思いはあったんじゃないでしょうか。
 神と人ほど差があると、なかなか受け入れにくいところがありますが、アジア諸国でも、アメリカ大陸でも、アフリカでも「精霊」と称されていたものがそうなんじゃないでしょうか。
 日本のような国はそれをきちんとした礼楽で以て行おうとしたから、形から中身がどんどん高められていった、という言い方もできるのかもしれません。

 中曽根総理の時の「公式参拝」というのが発端のようですが、仰る通り、どうもマスメディアの跳梁跋扈、と言った方が良いような怪しい活動が要因みたいですね。靖國神社への玉串料に公費を使ったという事で、左翼弁護士らの訴訟がきっかけとなり、アサヒ新聞等がシナに御注進、というのが、そもそもの始まりのようです。

 「夕刻の備忘録」に関しては、目がチカチカする、というのだけは、若者も共通の感想でした。
 (初期は旧仮名遣いで書かれてありましたから、よけいに取っ付きにくかったようですね)

Comment by: 再起(せき)SR400  | 2013- 07-27 | 編集