繋ぎたる船に棹差す心地して
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「初心を忘れていた!」
とにかく日記を書く気が、全くと言って良いほど起こらなかった。
で、何か他のことをするか、というと、そういうわけでもない。
ただひたすら、怠けてごろごろして、テレビやネット情報を見ているだけだった。
(あ、宮崎正弘氏の新刊「習近平が仕掛ける尖閣戦争」を半分余り読んだ、くらいだな)
今日だって同じだ。
でも、作家だとか文筆業、というわけでもないのだから、日記なんて書かなきゃ書かない、で済む。
締切に追われるわけでもないし、第一、ブログに書いたって訪れる人がさほどあるわけでもない。精々、日に三、四十人だ。
というわけで、「11月23日までに書いておきたいこと」として、何回か書いて、あとはまともに日記を書かないでいたら、あっという間に十日が過ぎてしまった。
いや、政治のこととか、身の回りのこととか、書いておきたいことはいくらでもあるのだ。
けれど、繰り返しになるが、これらを書いたって、どうなるものでもない。
そんな日記書いて、時間を潰すくらいなら、もっとごろごろしておやつ食べてぶくぶく太る、とか、反対にビラの一枚でも作ってポスティングする、とかした方が、何かしらの変化があるだろう。
今は、半分以上世捨て人状態なんだから、日記なんか・・・・・・。
「・・・・という気があったんだなあ。そうか、そんな風に思ってたのか」
、とここまで書いて気が付いた。
とんでもないバカヤローである。
何故って、日記を書くのは、他人に読ませるためではない。読んで下さい、でもない。
ただ、ブログで日記、ってのは、他人に読まれても構わない、いや、読んでほしいとまでは思わずとも、「他人を意識して」書くものだ。
その目的は、というと、これ、別に露出趣味ではないし、自己顕示欲がメインというわけでもない。
ブログを書くのは、他人を意識すること、「四苦八苦して書く」こと、で思っていることを少しでも深めたい、つまり、自身、ちょっとでも賢くなりたいための作業、だったのだ。
というわけで思い返してみれば、そうでした、最初に掲げてたんでした。
「日記を書くのは、ボケてきた頭のリハビリのため」だった、と。
そうです。「変化を求めて」というのもあながち間違いとは言えない。けれど、それだけなら、先述のようにおやつ食べてごろごろしてぶくぶく太るのも、ビラ一枚ポスティングするのも、自身にとっては、確かに変化、です。
けれど、「頭のリハビリ」には直結しない。はい、そういうことです。
この大前提を忘れていました。
というわけで、次回から、また「頭のリハビリ」のための執着日記、重箱の隅日記、を書きます。
でも、次回って、明日かな、あさってかな~?
(予定では、政界再編、ネット討論会、小沢新党、ツーリング、流行色、物事は捉えよう、等々)
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訪問ありがとう
訪問ありがとう。
僕自身のリハビリのブログに書き込みをされるのは嬉しいものです。
リハビリと言う「内容」は別にしても一期一会の刺激は楽しいものです。
明治30年代の日清戦争と日露戦争の「戦間期」に悩んでいた若者たちに今ひきつけられています。真宗派から追い出された清沢氏です。
今の僕たちも「信」ということで悩んでいます。
彼らも「信」で悩んでいた。
状況としては確かに「総選挙」という政治村でのお祭りが始まっています。
僕たちの「信」という思考も無関係ではないでしょうが、この程度の状況にかまけてしまう「信」への熱望では、情けないでしょう。
僕は「老兵」です。
貴君は「若い兵」です。
えも、御互いに「信」とは何かと「もがいている」コトには違いはないと思っています。
君は若いから「10年も」もがけば、貴方の「思考本」をモノにできるでしょう。
頑張ってください。- Comment by: 中年不良探偵団
| 2012- 12-03 |
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ありがとうございます。
なかなか書き込めないものですね。やはり、思いついたまま、人の迷惑省みず、でやらないとできないのかなと思ったり、いや、自分が妙な色気出して、ちょっとでもカッコつけようとしているからそうなのかと思ったり。
「信」、と言うのは、結局相手を、ではなく自分を信じられるか否か、ということのように思うようになりました。
何もしないで自分を信じることはただの能天気だし、かと言ってそれなりに何かをやったとしたら、当然満足の行くところまではいかないわけで、その心残りが自身の不信の根になりますから。
そう考えていくと、「国民に信を問う」という一言について、政治家のかんがえる「信」と国民個々の考える「信」には、随分隔たりがあるんじゃないか、と。
勿論、国民の思う「信」、の方が、桁違いにレベルが低いんです。マスメディア並みに。 - Comment by: 再起SR400
| 2012- 12-05 |