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戦争と絵画⑤松本竣介は反戦画家か
2012.11/10 (Sat)

巡回展のポスターにもなっている「立てる像」の構図は、作業服だかつなぎだか分からないのを着た青年が、軽く足を開いて立ち、両拳を握り、遠くを見つめているものだ。自画像だという。
その様子はいかにも労働者風で、その視線の先には紅い旗が翻っているような雰囲気もある。
「革命を目指してるんだ!」
と言われれば
「そう言われれば、そう・・・・かな?」
と思う。
でも、何だか釈然としない。
確かに意志は感じる。立ち姿といい、拳を握っている様といい、明らかにこれを描きたかったんだろうな、という「何か」は感じる。
でも、これを「革命」とか「労働運動」とか言われると、何だか違うな、と思う。
そんなのじゃない。この絵は意志は感じるけれど、何となく茫洋としているのだ。
「革命」だとか「労働者よ、団結せよ!」とかの絵は、実に分かりやすい。
宣伝のためなんだから、茫洋としている筈がない。
もう、それしかない、といった感じの大きな紅旗が背景に翻り、「まなじりを決した・・・」、では些か怖いからか、大方は笑顔で
「革命成就の暁には理想の社会が開ける」
、みたいな言葉が大書された壁新聞でも貼ってあるのかな?と思わせるような視線の絵、ばかり。
実際、文化大革命の頃のシナ共産党の宣伝映画なんか、NHKでよく流れていた。
どうやったらあんな顔になるんだろうと思うくらいの、満面に笑みを浮かべた数十人の隊列が、紅旗を先頭に五列縦隊くらいの隊列で歌を歌いながら行進している。
もう実に楽しそうで、「一体何があるんだ?」と思ったら、その隊列、畑を耕しに行くんだ、と。
「んなわけ、ねーだろ!?」
と、こっちが突っ込み入れたのを、見透かしたかのように
「みんなで力を合わせて国のために尽くせるのですから、こんなうれしいことはありません!」
とリーダーらしい女の子が満面の笑みのまま、はきはきと答える。
金太郎飴のごとく、どこで撮っても同じ笑顔に同じ行進。
そりゃそうだろう。どこでやっても「革命遂行のため」という目的は同じで、共産党は一つなのだから、やり方も一つしかない。
目的がはっきりしていて手段は一つ。だから、奥行きは、ない。
楽しみは一つ。幸せは一つ。共産主義による社会革命が完遂されればみんな幸福になれる。貧しくたっていいじゃないか。お洒落なんかしなくたっていいじゃないか。みんな貧しくて、でも、希望に燃えて未来を切り拓くんだ!
だから、みんな人民服だ。毛沢東主席だって人民服だ!
・・・・・。それからしばらく経って、毛沢東をはじめとする共産党幹部の着ている人民服は同じ人民服ではあっても、高級な絹織物であることが知られるようになり、木綿の服しか知らない人民の中に疑心が生まれてくるのだが・・・。
今、共産党の幹部で、日常に木綿の、は言うまでもなく、人民服を着ている者は一人もいない。国内の式典の時だけ別誂えの高級な人民服を着ている。既に人民服は儀礼服になっている。
いや、松本竣介の絵は時機を考えれば、シナ共産党ではなくソ連のそれだろう、と言われるかもしれない。北半球の広範囲を占めるシベリアの大地と、重苦しい空と、抑圧された労働者の苦悩。それに共鳴したのだ、と。
そう言われてみればここに掲げた「Y市の橋」にせよ、挙げてはいないけど「国会議事堂」にせよ、「ニコライ大聖堂」にせよ、一見、実に重苦しい絵に見える。
しかし、重苦しく見えるけれど、これ、「労働者の気持ちを描いた」と言われれば、「?」と思う。
どの絵にも重苦しさはあるけれど、憤懣、憤り、怒りなどを感じるかと言えばそうではない。絶望、とも性質が違う。
藤田嗣治は戦争画という種類の絵に大きな可能性を見出し、命懸けで絵を描いた。人々が感動するところを見ることで、自らを励まし、更に双方を奮い立たせるために、軍服まで着て、絵の横に立った。
松本は違う。
中学生の頃から難聴になり、召集されることはなかった。
だから、自分は一心に絵を描くことを仕事とし、一国民として生きる。
それが一番立派な生き方であり、国に報いることである、と思った。
そこに戦争画を描くようにという要請が軍部からあり、戦争画を描く者には優先的に画材を配給する、との説明があった。
松本はそれに対して抗議の手紙を書く。
「戦争画を描くことだけが報国の志の表現手段ではない。それぞれがそれぞれの仕事を精一杯に果たすことで国民が頑張っているように、私は私の信ずるところを行うことで国に報いる、そのつもりで絵を描いている。だから、同じように画材の配給が為されることを願う。」
(ええ~っ?そんなことホントに言ったのか? 勿論そんなこと書いてないでしょうけどね。ただ、これが真意でしょう。謎解きは次回に。)

(続く)
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