情に棹差せば「流される」

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三つ太刀さん

とかく、この世は生きにくい・・・・ですね。

情があれば相手に悪いから・・・・断りにくい。
「あんた、ここ違うよ」と言えばなるほど角が立つ。

夏目漱石という人は言葉の天才ですね。

わたしはネット弁慶なので
サヨクチックな人の前でも猫かぶってます。

声高に叫ぶ人の前では大人しい人は不利ですし
こういう人に賛同してしまう人が多いのも残念なことです。

確固たる信念を受け入れてもらえる人と
変人扱いされる人とでは何が違うのでしょうか?
口下手なので、わたしは結構損していると思います。

人徳が欲しいなぁ。

Comment by: 楽さん  | 2017- 02-01 | 編集

 楽さん
 本当は情に棹なんて差す必要ないんでしょうね。こっちは「お客さん」になって(何せ、「客観視」するんですから)流れのままに流れを楽しみゃいい。
 なまじ棹なんて差すから激流に巻き込まれてしまう。
 同じく智を働かす相手のレベルを考えなけりゃ、相手の理解能力を超えてたら「面子つぶされた」とか「馬鹿にされた、見下された」と意固地になって反論してくる。
 そうなると、基本は「猫を被る」ことだと思いますよ、特に左っぽい人には。
 で、右っぽい人は意外に真摯な目をして対してくるから、つい気を許してしゃべりすぎてしまうんですけどね。
 ところが左っぽい人と右っぽい人は、「見下すような視線」か「正面からの真摯な目」が違うだけで、「智に働けば角が立つ。 情に棹させば流される」、は両方とも同じ。
 それどころか、なまじ真っ正直なだけに、右っぽい人は正面衝突してきますから、「一致団結」が、不思議なほど、できません。必ず大論争になって、分かり合えることは遂にありません。左っぽい人は「見下す視線」は変わらないから、相手を下だと確信すれば、「分かった」ような気になる。

 「確固たる信念を受け入れてもらえる人と変人扱いされる人と」では、見られている方は「根拠の明らかでない自信」、見る側は「(理解しているのではなく)安心感、信頼感」があって成り立っているんじゃないでしょうか。肯定的な思い入れ、或いは思い込み、って大事ですね。

Comment by: 三っ太刀  | 2017- 02-02 | 編集