「楽しさの追求」

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お久しぶりです。

>>「楽しさ追求」って、童心に帰ること
>>「楽しさ」を追求するとき、「相手の努力をそのまま認め、尊敬する」気があれば、決して利己主義や排他主義には陥らないんじゃないか。

本当にそうだと思います。けれど、どうしてなのかな~上手くいかなかったりするのは・・・。
自分のことだけ考えていると、自ずと相手も自分のことだけ考えていることがわかる、そうするとそれは尊重すべき事に思える。それが相手を尊敬するということでしょうか。

Comment by: そらのくも  | 2016- 11-22 | 編集

 お久し振りです。
 順番があるんじゃないかと思うんです。順番というか段階的な過程というか。
 「努力しているんだから全部OK、完全無欠!」なんてことはないんで、「努力していることは十分に感じる。そこまでは立派だと思う。だからと言って完全じゃない。」
 これは、まず自分に対して感じることで、その投影されたものが「相手」なわけですから、上手くいかないというのは自身の努力を「正当に」捉えてないからじゃないかな、と。
 例えば「私の素振りが下手なのは、私の稽古不足と工夫不足とが根っこにあって、その解決策なくして自分の才能云々を口にはできない」と考えたら、相手に対しても羨望や蔑視ではなくまともな見方ができるんじゃないかと。
 あ、「敵を知り己を知れば~」みたいなもんですかね。

Comment by: 三っ太刀  | 2016- 11-22 | 編集