ちょっと休憩 その2

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こんにちは。
お久しぶりです。

>>質的にはネットで得た知識は読書百遍の足元にも及ばない

その通りだと思います。
ネットがどれほど発達しようと、知識や考えの質的深さは、読書で得るものに勝るものはないでしょう。
TVが普及しても授業は本とノートだった。
ITが発達しても同様なのではないでしょうか。

Comment by: そらのくも  | 2016- 03-17 | 編集

 賛同いただいて恐縮です。
 ネットの知識が玉石混淆であることは言うまでもないのですが、それは新聞、雑誌、時には学術書だって同じですよね。要は限定された範囲内のものをどこまで集中して(繰り返し)読み解こうとするか、じゃないかと思うんです。TVなどはその点から言えば集中しない(できない)ものの最たるものですからね、あれで勉強する、社会一般を理解する、なんてとんでもない、と思います。
 今、学校では各自にタブレットなどを持たせて授業を、という方向に向かいつつあるようですが、おもちゃにしかなりません。引き換えに失うものが多すぎます。

Comment by: 三っ太刀  | 2016- 03-18 | 編集

本当にタブレットのようなものを使って、様々のことを理解することが可能だと思っているのでしょうか?
IT端末での理解は中途半端なものにしかならず、結果的にIT機器に管理されることになるのではないかと心配するのですが。

Comment by: そらのくも  | 2016- 03-18 | 編集

>本当にタブレットのようなものを使って、~
 本心からそう思っているようですよ。もう随分以前からパワーポイントを使っての授業を奨励しているんじゃないですか?
「(知識を含む)認識は、五感の脳細胞への投影である」というごく当たり前のことを見詰めようともしないから、視覚ばかりを重視するんでしょうね。
 タブレットで何冊も本を読むのと、「本の重み、匂い、手触り、ページをめくる時の音」を背景にして文字を認識するのとは全く違うんですけどね。学校の校舎、という容れ物も、だから大事なのに。
 結果、全てが薄い認識になって、「重み、切実さ、懐かしさ、そして喜怒哀楽」等の実感のない記憶が蓄積されます。先日の些か以上に乱暴なメール事件、その国会での採り上げ方、関連デモ。既に影響は明らかです。

Comment by: 三っ太刀  | 2016- 03-18 | 編集

読み物の”質感”は大切だと思います。やっぱり紙のにおいやページをめくるときの指の感覚、そして黒あるいは青いインクを感じさせる文字など。
僕は「古いのか?」と思っていましたが、三っ太刀さんの説得力のある文章を読んで
「やっぱりそうだよな。」と思いました。

Comment by: そらのくも  | 2016- 04-10 | 編集

電子書籍やタブレットで長時間の読書や執筆なんて、目と神経が疲れるだけだと思ってしまいます。PCでブログを読んだり書いたりすることでさえ、疲れやすくかんじてしまっていますので。

Comment by: そらのくも  | 2016- 04-10 | 編集

そらのくもさん
しばらく留守にしていました。
人間の凄いところは、文字を発明したことにより、時空間を自由に移動できるようになったことだと言われます。そう考えれば音符だって、それ以外の記号だって文字と同じ働きといえます。
 だから、逆にその便利さの故に視覚以外の感覚が軽視されるきらいがありますね。
 結果、「理解」はできるけど「実感」は出来なくても大きな問題にはならない。それで、謝る時は何秒以上頭を下げたか、みたいなことが問題になったりしています。

Comment by: 三っ太刀  | 2016- 04-12 | 編集