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「階級」という価値観(永久に謝らなければならない ) ③
2015.11/12 (Thu)
「華夷秩序(宗主国と属国で成り立つ)」から見るに、「化外」だから「日本」は国ではない。国ではないところの住人は人間でさえ、ない。
だから「賎民」という最下層の「階級」にも含まれない。
本来なら「奴隷」であるが、「世界」の外に居るのだから、「奴隷」以下の存在である。
ここまでが①
滅亡した百済から流れ着いた韓民族のなれの果てが日本である。
だから、折々に先祖の恨みを晴らすために反韓的な振る舞いに及ぶ(のであろう)。
故に、「奴隷(倭奴)」、「犬」と言い続けるのは当然のこと。
礼を尽くす相手ではない。
ここまでが②
だから室町期、八幡船で貿易に来た日本人が、騙され、或いは裏切られて、怒り狂って海岸部を荒らし回ったことには、ただ恐怖を感じるばかりで肝腎な「自省」の念は遂に持つことがなかった。
ここまでで分かることは、(これは以前から言われていることですが)これらの思考の特徴は儒教(朱子学)が導入された時から顕著になっている、ということです。
朝鮮での学問は儒教の「心持」を研究するのではなく、「礼楽」という「形式」の追求だけがなされた、と言えるでしょう。
それも学問は一割を占める両班階級のみ、で、世宗王が朝鮮文字を作らせてからも残り九割の国民は読み書きができなかったというのですから、「歴史を鑑みて」とまではいかずとも「歴史を直視して」物事を考える、などということは不可能だったと思わざるを得ない。日韓併合時、「悪いのは誰だ」と考える力を持ち始めたのだけれど、いかんせん、文字の読めなかった国民が過去を見ようとしても、闇は深過ぎて、全く手に負えなかった。
彼らだけではない。宗主国たるシナだって、儒教は「礼楽」の形式を追求することで社会の仕組みを維持する、という「実利」しか求めなかった節がある。
考えてみれば当たり前のことなんでしょう。
我々日本人が
「儒学の中心は心持にあるのだ。ちゃんと論語に書いてある。まずは『仁』、そして『仁』とは『忠と恕』なのである。」
、などというのは、彼ら華夷秩序の世界の住人には「?????」でしかないのでしょう。
儒学は「儒教」なのであって、「礼楽」によって国を治める政治術。「論語」みたいなものは、儒「学者」の勉強すればよいこと。
そうであるから
「だから、化外の生き物は困る。何もわかっておらん。何が『心の持ち様』、だ。社会を治めるための術が学問なのだ」
、などと、今でも思ってるのかもしれない。それでなければ「孔子学院」、なんて絶対につけない名前でしょう?
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「韓国と『国交断絶』の覚悟」 西尾幹二
(略)
六月二十三日放送のBSフジ「プライムニュース」で自民党衆議院議員の逢沢一郎氏が「アジア女性基金から支払われた金銭の受け取りを、挺対協の介入もあって韓国側は拒否したではないか」と津田塾大学准教授の朴正鎮氏に質した。
その時、朴氏は「お金は問題じゃないんだ」と述べた。
すると逢沢氏はハッとした顔をして、「またそんなことを言うのですか。いつもそういうことを言う。それならどうすればいいのですか?」と訊いた。
それに対して朴氏は言い淀み、黙っていた。
そのやり取りをテレビで見ていた私は、韓国は合理的とか現実的な解決など一切求めておらず、ひたすら精神的なことだけを求めていると感じた。
精神的なこととは要するに日本が地べたに頭を擦り付けて謝り続けることである。韓国が求めていることはその一点なのだ。
それが根幹にあって、その証拠に、遂には李明博前大統領が天皇にまで土下座を要求したではないか。
( 転載了 )
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すいません。
多いと思ってたけど、今回、西尾氏の文からの引用はここまでです。
考え「方」がないので、どうしたらいいのか、どうやって「結着」すればいいのか分からないのではないか。
だから、ただひたすら「要するに日本が地べたに頭を擦り付けて謝り続けること」、だけを言い募る。
言葉にできないもどかしさ、と言うんでしょうかね。とはいえ、金は欲しい。それは間違いない。でも、
「金で解決なんかできない」
、とも思っている。
「考え方」がないから、李朝以降、今に至るまで「考えの進展」はなく、ただあるのは「華夷秩序」と「事大主義」と「日本は化外の地。日本人は本来、奴隷以下」という固定観念。
「分かろうとしなければ分からない」「聞こうとしなければ聞けない」
つい先日も似たようなことがありましたね。慰安婦問題に関し、日本が解決策を問うたところ「それは日本が出すべきだ」って。
「喧嘩売ってんのか」と思ったけれど、あれ、追い詰められている、ってことかもしれません。自分には何も案がない、ということです。言ってみれば結着の青写真なんか初めっから持ってない。考えたことすらない。政治は結果だから、青写真なしに取り組もうということ自体、何ともとんでもない話なんですが、そんなだから、「摺り合わせ」、なんて外交、内政共に基本中の基本であることを考えようともしない。
そんなことを思っていたら、今朝の宮崎正弘氏のメールマガジンに、またもや「成る程」と思わされる投書が。
では、それを転載。
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(読者の声2)
【韓国には歓迎会はあっても送別会はありません】
日中韓3か国会合の折に開かれた安倍・朴首脳会談後、韓国側から昼食を誘われず、安倍総理は街中のレストランに焼き肉を食べに行かれたことが話題になりました。
しかし、韓国に駐在経験のある日本のビジネスマンの間では昔から「韓国には歓迎会はあっても送別会は無いのが普通」と言われてきました。つまり赴任当時は自分たちに便宜や利益を齎すよう歓迎会はしてくれますが、離任と云う事がわかると、もういくら接待してもしょうがない、と云う事らしく送別会は大体催してくれないのです。
彼等がノーベル賞がもらえないのはロビー活動が足りないからだというのと発想は同じですし、赴任中の韓国側への貢献に感謝の念などは抱かないのが彼らなのだとわかって、大体の駐在員は嫌韓になって帰国します。
しかるに何事につけ「完全かつ最終的に決着する」よう日本が求めても、それはその時点だけでの「完全かつ最終的な決着」であり何度でもそれが繰り返されても彼らはおかしいとは思わないのです。
(SSA生)
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成27年(2015)11月12日(木曜日)
通算第4724号
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「赴任中の韓国側への貢献に感謝の念などは抱かない」から「歓迎会はあっても送別会は無いのが普通」
「ノーベル賞がもらえないのはロビー活動が足りないから」
これを見ると、「日本に感謝の念などは抱かない」のは理の当然、ですよね。
日本以外の国にだって実利のみ、をロビー活動で求めるだけのようですから。
(これで終わりです)
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