読んではいないんですけどね

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諺を英語で説明できるか?

日本語が出来ずに英語ができるわけがない

”諺を英語で説明できる”ためには、日本の歴史と伝統と庶民生活の喜怒哀楽の機微等々、日本人にとっての普遍的な価値観を日本語で考えられることが出来て初めて可能だと思います。

実用英語というものは、現場のみですね。
自分の文化的背景を失ってしまえば、生き方=経済活動に終始してしまうでしょう。

Comment by: 桜印のあんパン  | 2014- 03-13 | 編集

 桜印のあんパンさん 今晩は
 仰る通り、言葉というものはその社会に芽吹き、花開くものですから、当然、文化そのものです。
 だから日本の事(社会、歴史、生活等々)を知らないものが諺のような、「粋」「精髄」を説明できるわけないですよね。
 エスペラント(語)が未だに大きな勢力にならないのは、そこに文化、生活がないからなんでしょうね。
 実用英語と言われるもののほとんどは文中にある「ビジン・イングリッシュ」、ビジネス英語でしょうから、深くなることは到底できない。
 そんな会社の運営をやっていれば、その会社はどうなるか、ということを全く考えていないのだろうと思います。

Comment by: 再起(せき)SR400  | 2014- 03-13 | 編集

これは!

非常に興味が湧く本です。
教えていただきありがとうございます。私も読んでみたいと思います。

学生時代、英語を勉強するほどにむしろ、自分の国の文化や歴史についての自分の意識の低さや無知さのほうが気になってしまって仕方なかったんです。
比較文化、の比較する土台を持っていない自分がいたんですね。
そんな勉強の仕方は、ものすごく空虚な事だと思いました。
そのあたりから、外国のことよりも日本のことをもっと知りたい、知るべき、という方向にかなり気持ちが傾いていったように思います。

学生時代に教わった先生は今や英語の教科書を作る側の人ですが、その先生もまた「英語を小学校から始めることは無駄」と常に仰っていたことを思い出します。

そういう過去の自分に経験したことの何か繋がり、ヒントが、この本で見つかりそうな気がします。


肝心の英語教育について、ですけど。
もともと、高い教育を受けた人達が英語を使って海外の優れた文献を読むとか、論文を書くとか、そういうことができる基礎を作るための教科という位置付けでなのでしょうから、今のような形の英語の授業方式になのは当然でしょうね。
日常英語というものを目指すなら既成の英語という教科の時間とは別に、新たな時間を割く必要があると思います。

Comment by: るる  | 2014- 03-15 | 編集

るるさん ありがとうございます
「比較文化、の比較する土台を持っていない自分がいたんですね」

!そうそう。比較文化、とか比較文学というのが、昔、能く言われましたね。大学の学科としても結構あったんじゃないでしょうか。
 根本的に(この言葉通りですね)「主体性」「中心」がない形で比較することからは新しい発見はあっても、そこからの発展はないのではないか、という批判が多く、結局最近はあまり聞かれなくなった考え方と思います。

 日本では昔から、「多芸は無芸」とも言うし、「多趣味」は決して褒め言葉ではないですよね。
 却って「一芸に達すれば諸芸に通ず」、と一つに徹することを勧める。これは主体性の有無に重きを置く、島国日本に培われた精神性なんでしょうか。

 英語教育は仰る通りの理由でしょう。初めから「学問のために」という取り組み方です。他国のような「分からないと生きていけないから」という「ビジンイングリッシュ」、理解ではなく体感、というやり方を日本は採ったことがありませんでした。「ビジネスイングリッシュ」と理解して、と言うのはやっぱり習熟するのに時間がかかりますよね。

Comment by: 再起(せき)SR400  | 2014- 03-15 | 編集