繋ぎたる船に棹差す心地して
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柿の葉茶を買いに
2016.10/28 (Fri)
天気が良い。こんな素敵な秋晴れは久しぶりだ。青空で、いかにも秋らしい鰯雲が、実にゆっくり流れている。昼頃になって、じっとしているのが、もう、どうにも我慢ができなくなり、外へ出ようと思った。
SRか。それともコペンか。
もっと曇っていればコペンだが、こんな青空なら、SRしか選択肢は、ない!
「何も力んで言うほどのことではないだろう」?
いや、ここはSRだ。そうでなければCub90だ。
還暦過ぎた独居老人だって、かまうことはない、サロペットにデッキシューズで出発進行、だ。
ただ、Cubは原付と間違えられて煽られる恐れがあるから、やめとく。黄色ナンバーはピンク以上にマイナーだ。
さて。暇はあるけど金はない。だから外に出るにはそれなりの理由が必要だ。
「外に出る」、「天気が良いから散歩」ったって、歩いて行きたいわけじゃない。給油の必要はないだろうけど、ただ走るだけ、じゃ、益少なし。
「走る」以外にも目的がなければ、何となく後ろめたくて走れない、元通勤ライダー。
で、思いついた。
「そうだ!柿の葉茶がなくなりそうだったんだ。これは何としてでも買いに行かなければ!」
血圧高めの独り者に、柿の葉茶と生姜酢は必需品だ。
生姜は一昨日買ってきた。黒酢は昨日買ってきた。
(・・・ん?毎日口実作って出歩いてるのに気が付いた。でも柿の葉茶は買わなければ!)
というわけで、下半身が冷えるといけないから、中綿のウィンドブレーカーを穿き、ジーンズを穿き、首にはバンダナ、でなく大袈裟なことにフリースのネックウォーマーまで巻いて出ることにした。
秋の陽射しは強く、時折り、痛いくらいだが、走り始めると少し冷たくなった風が棘のような痛みをすぐに吹き飛ばしてしまう。
いつの間にかはっきりとした秋の風になっている。
市街地を抜けると、十月も終わろうとしているのに、まだ稲刈りをしてない田圃が広がっていく。
平日だから、バイクは滅多に見掛けない。気分が落ち着くような、でも、見掛けないのも寂しいような。
丁字(ていじ)路の信号待ちで、見るともなく対向車を見た。
若い女性が所在なさ気に、というか手持無沙汰というか、視線をハンドルから離した手元に落として、指先をいじっていた。
信号が変わって走り出すと、あちらも走り出したけれど、擦れ違う際、見るとハンドルに手は添えていたものの、視線は下向きのままだった。「心、ここにあらず」、というやつか。
何だか見たことのあるような光景だった。
それで何となく何かが分かったような気がした。
バイクに乗っている時は、みんな前を見ている。けど、車の運転をしている時は、視線は前に向けていても意識は前に向いてない人が、結構いる。その理由だ。
ガラス越しに、他のことを思っているらしいことは、これまでに度々感じていた。
勿論、バイクだって、ぼんやりしていても、意識が前に向いていなくても、乗れる。慣れ親しんでいるのだ、無意識にアクセル、クラッチ、ギヤチェンジくらいは操作している。車だってMT車を無意識の裡に操っている人がほとんどだろう。
ひねくれ者が「スクーターなら右手だけだから、AT車とそんなに変わらない」と言うかもしれない。
けど、その「無意識」の中に、「バランスをとる必要」、がスクーターにも絶対あって、それが「前方を見ること」に大きく係わってくるという違いがある。これに関してはAT車とスクーターは全く違う。
「バランスをとる必要」があるから、バイクやスクーター乗りは「とにかく前を見る」しかない。
「危険察知のために前を見る」・「景色を見るために前を見る」、に加えてバイクには「バランスをとるために前を見る」という理由が加わる。そしてそれが「景色を見るために前を見る」ことの楽しさを倍増させている。
バランスを取らなければ立ちごけをする。こけたら160キロ(場合によっては300キロ)以上もある鉄の塊を一人で引き起こさなきゃならない。そんなマイナス要素のおかげで、却ってそれがバイクの魅力を際立たせている、といっても良いのかもしれない。
変態かもしれない。でも考えてみれば、世の中の進歩(=色々な欲求の果て)なんて、こんな「偏執狂っぽい、ものの取り組み方」に、多くを支えられているんじゃないか。
ひとくちに「前を見よ」、「前を見ることが大事だ」と言ったって、認識の度合いは人それぞれだ。いや、それどころじゃない、雲泥の差があるのが通常だ。これは政治や国事も同じことだろう。
車の自動運転が現実のものになりつつある。事故はなくならないだろうけど、激減するだろう。
けど、運転する楽しさは「激減」ではなく、「消滅」するわけだ。
道の駅で、予定通り、柿の葉茶を買い、戻ってきた。一時出発、三時帰宅。往復二時間ほどの、例によって、いつもの「ショートツーリング」。
着込み過ぎて少々暑かったけれど、逆に薄着だったら「肌寒さ」を通り越していただろう。
着込み過ぎを
「準備が良過ぎて間が抜ける、とはこのことだ。『総括』すべきだ」
、なんて言うのは愚の骨頂だ。
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