繋ぎたる船に棹差す心地して
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「『はっ』と言った、はっと。」
2014.11/04 (Tue)
①病院に行ったらテレビで国会中継が流されていた。おそらく予算委員会だろう。安倍総理の顔が大きく映っていた。声は聞こえない。立ち止まってみるわけにもいかないので、そのまま通り過ぎる。
②だから、何の議論をやっているのか分からない。
③病院で新聞を読むつもりで用意してたのに、持って出るのを忘れた。帰ってから読む、としたら、今朝から夕方までの考えの参考にはならない。
④テレビも、(今朝の)新聞も、今こうやって日記を書こうとしなければそれまでのことだ。考えることもせず忘却の彼方、だ。
⑤「こうやって書いたからってどうだというのか。バカの考え、休むに似たり、って言うだろ?」 以前はそう思っていた。
実際「旅行に行ってもロバはロバ。馬になって帰って来るわけじゃない」という西洋の格言があるらしい、と日記にも書いた。
でも、そうじゃない。その人なりに「真剣に」、そして「一所懸命に」取り組み続けると、必ず、少しずつでも理解能力の範囲は広がり、それに伴って考えも深まる。そうでないと、(人間)社会は成立しなかったし、当然、今の発達もあり得なかった。
書家が泊まった旅館の仲居さんに
「そんな立派な字を私なんかが書けるわけがない」
と言われて、こう言ったそうです。
「誰にだって書ける。一日に真剣に千回も同じ字を書いていれば、書けるようになる。書けるようになりたいのなら、それをやれば良いだけのことなのだ。私がそうなのだから。」
そこに「真剣」に、そして「一所懸命」に取り組む姿勢があれば、「いつかは」書ける。
脱線するみたいですが、「真剣」と「一所懸命」とどう違うんだ、などと考えてみることだって大事なことだと思います。
同じ意味(同様、ではなく同一)ではないと感じているのだから、我々は「真剣」と「一所懸命」を使い分けます。
だったら「何となく使い分けている」よりも、それなりの力(自分の理解能力の範囲)で、意味を考えてみる、ということはとても大事なことです。
その結果、間違いなく思考は深まる。深まらないわけがない。
だからと言って、「いつもやらなければ!」と一念発起するのはともかく、いきなり、何の準備もしないで手当たり次第、何でもかんでも「考えよう」「やってみよう!」なんてのは絶壁を素手で登ろうとするようなもの。
指も爪も掛からず、立ち往生。絶望感に囚われるのがオチ、です。
大方のことは、いきなりの「根性ぉぉ~~っ!」だけではどうにもならない。
けど、初め、何かに、ちょっと引っ掛かってみる。そして、取り敢えず数秒でも「考え」てみる。それをきっかけに、メモ用紙に書き留めようとしてみる。
③までならいつも、誰でもやっていることです。
要はその次。④に踏み込むか否か、じゃないでしょうか。筆記用具を手にするか否か、じゃないでしょうか。
それが「『はっ』と言った、はっと」、です。口にした、瞬時に行動する。
とにかく即座に、それも「真剣に」、「一所懸命に」取り組んでみる。
ペンを執るだけだから、数秒から始めるのなら、できそうです。
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