繋ぎたる船に棹差す心地して
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神様の通り道 (後)
2017.11/30 (Thu)
「敬神」のような「経験のない感覚(境地)」のように、これまで持っていなかった心掛け、心の持ち様を体感(感得)するにはどうしたらよいのか?「形に表せない、形のないもの(心持ちとか境地)」を手に入れるための「習い事」、みたいなものはあるのでしょうか、と書きました。
形(所作)のあることならば、「習い事」として真似ることを繰り返していけば、段々に身に付きます。けど、形のないものはどうなんだろう。
これ、形のあるものを習うのだって、「形だけ」習ったって「仏作って魂いれず」と批判されます。
「形を習うことによって、その心も習う」。そうでなければ習う意味がない。
形という入れ物を精確に作り上げることで、中身の形を思い描く。形を繰り返し表すことで、想像した中身の形が正しいかどうか手探りで確認し続ける。
ならば、「形がない」からと言ったって、作法みたいなものをつくって取り組めば、同じことです。
「参道」に戻せば、初めは「神様の通り道だから」みたいな「方便(説明の仕方)」で、納得し、とにかく言われるように参道の真ん中は通らず、参拝する。
たった一つのことだけでも、そうやって心に留めて取り組むと、人間、自分で「ちゃんとできたかな?」と反省、評価します。願い事があって参拝した筈が、参道の歩き方の方が気になったりする。
そうやって、「所作を学ぶ」ように一つ所に心を留めて取り組んでいると、却って雑念が消えていきます。そこに残っているのは?
初めて参拝した時、「敬」なんてこれまで経験したことのない「感覚(境地)」であるのが普通ですから、何も思わず普通に参道を歩く。それが一度でも「神様の通り道だから」と、意識して参拝してみると、西行法師じゃないけれど「何ごとのおはしますかは知らねども(何だか分からないけれど)」、と何かこれまでに体感したことのないものを感じる。
「何だか分からないけど忝(かたじけな)い」。
一度でもそうやって聞いて、「何か」を感じるようになると、参道の真ん中を歩くと、何か居心地が悪くなる。
更には拝殿を真正面に見据えて歩けなくなり、自然に、やや伏し目になってくるかもしれません。「敬虔」、というべきでしょうか。
「大手を振って参道を」というのも違う気がしてくる。「手はどこに置いたらいいだろうか、ポケットの中、なんてのは考えられないな」、なんてことも思い始める。
あ、そういえば。先日、習主席が米大統領を紫禁城に案内してましたね。その時、あまりの寒さと退屈さからか、習主席、コートのポケットに両手を突っ込んでいました。トランプ氏はちゃんと威儀を正して(勿論、手はちゃんと出してますよ)説明を聞いていた。
その大統領が城内を見渡した時、習主席の姿が視界に入った。それに気づいた主席、授業中に小学生が注意された時みたいに、慌ててポケットから手を出して、何食わぬ顔をして・・・。何だか昔のコントを見てるみたいで、つい噴き出してしまいました。
数か月前に、フィリピンのドゥテルテ大統領が主席の前でポケットに手を突っ込んでいたり、ガムをかんでみたり、ということをやって、まるで悪ガキみたいだった、というニュースがありましたが、こんなところに、その人の心中(或いは境地)は確かに見えるものだと思います。
脱線終わり。
一度や二度の参拝で「敬神の念」を実感しろというのは、大方の人には無理でしょう。「観光目的」とか「パワーをもらいに」、なんて人になると猶更です。そんな人が大挙して「参拝」という名目で押し寄せて来る。みんな揃って参道の真ん中をやって来る。参拝者の往来は大変なことになる。
「中央でなければどちらでも良いのですよ」なんてことを言うと、今度は道の両側でぶつかり合いが起きる。
で、「右側を通りましょう」ということにしてみた。こうすれば行きと帰りで反対側を通るわけですから、ぶつかる心配は、ない。
(高速道でなくとも逆走は危険、ということですね)
結果として全て上手くおさまる。
「真ん中は神様の通り道」。上手い説明です。方便そのもの。
でも、これを、「神様の通り道ですから」と言われて、「はい、そうですか」とマニュアルとして受け入れ、そこから先を全く考えようとしない、というのはどうなんでしょう。「忝さ」を感じる時が来るんでしょうか。「敬神の念」は湧くのでしょうか。
この月の初めにツーリングに行った、と書きました。その時参拝した神社でのことです。
多くの参拝者が小さな拝殿の前で、行儀よく一列に並んで自分の番が来るのを待っていました。
「並ばないで参拝してもいいんですよ」、と声を掛けて、拝殿の端から参拝したんですが、列が崩れることはありませんでした。
一列に並んで順番を待つ。真ん中で鈴を鳴らす。それも「敬神の念」の表現、とは思います。
でも、後ろに多くの人を並ばせて、真正面に立ち、長々とお祈りをしているのを見ると・・・・。
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